インドネシア・パプアニューギニアと書きましたので
忘れてはいけない東ティモールの豆について書いていきたいと思います!
東ティモールは2002年5月20日・・・
21世紀に入ってからでは最初に独立国としてスタートした国です。
手付かずの大自然が・・・と言えば聞こえがいいですが
水道もなければトイレもないような劣悪な環境であったりします。
Contents
東ティモールの地理と歴史
東ティモールはここです
インドネシアとパプアニューギニアの間、ティモール島の東側半分に位置しています。
ティモール島の西側部分はインドネシア領、下にはオーストラリアがあります。
このティモール島の東半分以外にも、近隣に小さな島々が有ります。
東ティモールの大きさは約1.4万平方Km
日本の首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川)の合計面積とほぼ同じ大きさくらいだそうです。
人口は約130万人。
国民の平均年齢は約18歳!
25歳以下の人口割合が62%で「アジアで最も若い国」と言われています。
東ティモールは、国土の6割以上が山岳地帯です。
島の中央部を山脈が東西に走っています。
山脈の南側は比較的緩やかな傾斜で形作られており、河川沿いには平地もあります。
反面北側は急傾斜が海岸に接した地域が多いため平地が少なく・・・
大多数の人々が急峻な山道の脇に集落を作って暮らしています。
その山岳地帯を活かしてコーヒーが栽培されています。
国民の約8割が農業に従事しており、高地ではコーヒー、低地ではココナッツやお米等が育てられています。
それでも長年の紛争の影響で主食であるお米など輸入に頼らざるを得ない状況となっています。
簡単な歴史
もとは「リウライ」と呼ばれる王たちが割拠する王国だったティモール島は
「大航海時代」に入り西洋諸国が東に舵をとる事で歴史の転換点を迎えます。
16世紀前半、ポルトガルが、ティモール島を征服して植民地とします。
17世紀半ば、インドネシアを植民地支配していたオランダがティモール島の西半分を占領
リスボン条約(1859年)によってティモール島は東西に分割されます。
1942年には日本軍が蘭印(オランダ領東インド、現在のインドネシア)の石油資源の獲得を目的とする南方作戦の経緯でティモール島を占領します。
1945年=戦後は再びポルトガルによる支配されますが、1974年、国内で発生した政治クーデターによる政権の崩壊で、植民地支配を放棄します。
そこにインドネシアが東ティモールに軍事侵攻し、インドネシア政府による社会基盤整備や学校教育などが始まります。
1991年、とある事件(サンタクルス事件)をきっかけにインドネシア軍によって多数の住民が殺害されました。
国際社会ではインドネシアの人権侵害を非難する声が強く、東ティモールの独立運動が本格化していきました。
さらにインドネシアでの政権交代もあり、1999年、東ティモールで独立の是非を問う住民投票が実施され、住民の約8割が「分離・独立」を選択したのでした。
ところが、住民投票の直後から、独立反対派勢力による破壊・暴力行為が激化し、急速に治安が悪化してしまいます。
そこで国連安全保障理事会はすぐに多国籍軍の派遣を決定し、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)というPKOを設立して治安回復と復興支援に乗り出しました。
日本をはじめとする国際社会の協力の下、東ティモールは徐々に平穏を取り戻し、大統領選挙や国連東ティモール支援団(UNMISET)の設置などを経て
2002年5月20日に独立を達成。東ティモールは21世紀最初の独立国家として、新たに歩み始める事になります。
コーヒーの栽培は19世紀頃から
東ティモールのコーヒーの歴史は、1815年、当時のポルトガル領ティモール総督がコーヒー苗を持ちこんだことから始まります。
コーヒーの本格的な栽培を目的に、巨大なプランテーションが作られるようになりました。
19世紀半ばには、それまで東ティモールからの輸出のトップをしめていた白檀に代わってコーヒーが東ティモールの主要な輸出産品となりました。
1890年代に、さび病が発生し、主だった種は絶滅してしまいますが、アラビカ種とロブスタ種の自然交配によってできた「ハイブリット ティモール種」が、さび病に耐性があるロブスタ種の特徴を有して生き延び、今もこの品種が東ティモールの主要な品種となっています。
インドネシアによる侵攻後も、インドネシア軍にコーヒーを独占されますが
主要産業であることが重要視されずに放置されてしまいます。
それ故に農薬や化学肥料にかける資金が乏しかったため、今でも続く無農薬栽培が定着することとなったのです。
皮肉な事に一度も農薬を経験したことのない土地は地球上からどんどん減っているそうなので、今となってはとても貴重な土地となっています。
これからは経済的にも豊かになって欲しいものです。
東ティモールの気候
気候は、熱帯モンスーン気候に属し、雨季と乾季の区別があります。
雨季は12~4月、乾季は6~10月で、日中の最高気温は、山岳地域を除き、一年を通じて30℃台と比較的高温です。
中央部を山脈が東西にかけて標高2,000mほどある山が連なっています。
国全体としては熱帯モンスーン気候ですが、山岳地帯では、日中の強い日差しに比べ朝晩は冷え込みます。
そのため、昼と夜の寒暖差を活かして、実の引き締まった上質なコーヒー豆を栽培することができます。
また年間降水量も2000mm以上あり、コーヒー豆を栽培するのに適した環境が整っていると言えます。
今では標高の高いエリアではアラビカ種、低いエリアではロブスタ種が栽培されており、ハイブリッド種のコーヒー豆もどんどん開発されています。
収穫期は乾季の4月〜8月の間でコーヒー農家の方々が一つひとつ手で詰んでいきます。
東ティモールとコーヒーの関係
東ティモールの主要の産業はGDPの約4分の1を占める農業です。
国民の8割が農業に従事しており、4人に1人がコーヒーで生計を立てています。
コーヒー以外になかなか国際貿易市場に出せる競争力のある作物がなく、唯一の輸出可能な作物となっています。
ですがお金もなく・・・その日暮らしの生活環境下では品質の悪いコーヒー豆しかとれず・・・
安い値段で取引され、コーヒー農家の人々は生活をするのに十分な収入得ることができません。
結果負のスパイラルに陥ってしまいます。
コーヒー栽培の支援をすることはコーヒー農家の生活が豊かになり安定する・・・つまりは東ティモールの国民の多くを困窮から救う事になります。
日本も多額の経済支援を行なっており、豪州・ポルトガル・米国と並ぶ東ティモールの主要援助国です。
さらに2002年の独立前後からNGO等も支援をはじめました。
日本からもピースウィンズ・ジャパン(PWJ)や特定非営利活動法人パルシックが現地で支援をしています。
良質なコーヒー生産方法や加工技術の指導したり、買い取り価格を保証することでコーヒー農家を支える活動などをしています。
東ティモールの豆の特徴
東ティモール産コーヒーの味わいは、しっかりとした苦みとほのかな甘み、りんごのような爽やかな酸味を感じるスッキリとした後口のコーヒーです。
浅煎りだと爽やかな青リンゴ系の酸味を感じます。
深煎りにすると酸味も抑えられ、しっかりとした苦味が出てきてスパイシーな一面も感じ取れます。
アイスコーヒーにも向いていてスッキリタイプのキレのあるアイスコーヒーが作れます!
東ティモールにとってコーヒーとは・・・切っても切り離せない物なのです。
●BASE CAMP.An という小さなコーヒー屋さんです
●コーヒーモンスターとしてブログ・ネットショップを運営
●その他に洋服・スニーカー・zippo・家具なども販売
●J.C.Q.A認定 コーヒーインストラクター1級・3級講師●IIAC認定エスプレッソイタリアーノテイスターです。
✨あなたのBASE CAMP=癒しの空間となれたら幸いです✨